小島寛之の「環境と経済と幸福の関係」

数学エッセイストでもある経済学者が、経済学の視点から、環境問題、そして人の幸福 について考える。

今こそ、科学についての哲学を──「地球温暖化」の見方

2007年9月 4日

(前回の 小島寛之の「環境と経済と幸福の関係」は こちら

現在、スピリッチュアルが大流行である。新興宗教団体の暴走によって引き起こされた地下鉄サリン事件の恐怖の記憶が薄れたのか、非科学的な超越物を根拠に語られる言説がテレビ界にも出版界にも溢れ、商品として消費されている。他方、地球温暖化現象のような、科学的検証が困難で、時間をかけた十分な議論を要するようなものが、「科学の名の下に」盲信されようとしている。

このような時代だからこそ、科学そのものを分析対象とする学問である「科学哲学」の、市民レベルでの普及が必要ではないか、そう思う。

「科学哲学」では、科学の方法論そのものを徹底的に疑ってかかる。そうすることによって、「科学的」とはどういうことか、「科学で証明された」とは何をしていうのか、などをよりよく理解し、「科学としてある程度信頼のおけるもの」と「科学を自称しているがインチキなもの」とに線を引くすべを得ようとするのである。

そんなわけだからこのブログでも、科学哲学の専門家である伊勢田哲治の著作[*1][*2]を参照して、科学哲学の考え方を紹介してみようと思う。

今回は、地球温暖化と同じように、「地球規模の変動に関する科学的な言明」がなされた過去の例を参考に、地球温暖化が「科学的に正しい」かどうかということを、ぼくら市民がどう判断すればいいかを探ることにする。前回、化石燃料の消費による地球温暖化のような現象は、安定的な生起確率が観測される反復事象とは全くいえず、むしろ一回しか生起しない歴史的事象だと主張した。この意味を理解してくれた読者なら、歴史的事例からこそ逆に何かを学べるかもしれないね、という考えにも同意してくれるに違いない[*3]。

伊勢田[*1]では、地球規模の変動に関する仮説が議論になった例として、ヴェリコフスキーの『衝突する宇宙』とウェゲナーの「大陸移動説」が比較検討されている。

『衝突する宇宙』は、イマニュエル・ヴェリコフスキーという人が、洪水伝説など世界各地のさまざまな伝説の類似性に気づいて、これを過去に実際に起きた全世界規模の天変地異の記録ではないかと考えて提出した仮説であった。彼は、1950年にこの本を出版し、天変地異についての伝承をまとめた上で天変地異がおきるメカニズムを提出した。それは、金星という惑星がもともとはなく、近い過去に木星から放り出されて彗星として太陽系をまわっており、その際地球に何度も大接近し、その結果や洪水や地球の自転が止まるなどの天変地異が起きた、とする仮説であった。これによって、世界各地にみられる伝説の類似性がみごとに説明されることになる、というわけである。

この『衝突する宇宙』は、熱狂的な支持者を得て大ベストセラーになるが、科学者の側からは強烈なバッシングが行われたそうだ。それは、自説と整合しない伝説を無視したり、自説に不利な箇所を無視して恣意的な引用をしたりする態度に対する批判に始まり、惑星と彗星がまったく大きさが違うことを無視していることや、木星から金星が排出されるメカニズム、奇妙な軌道を描いて現在の軌道に収まるメカニズムなどが想像つかない、などの科学的常識の欠如に対する指摘にも及ぶものだった。他方、ヴェリコフスキーが自分の仮説をもとに惑星についてたてた予測のうちのいくつか、例えば、木星が電波を発しているとか、金星の表面が熱いとかなどは、その後の惑星探査で正しいことも判明しているのが面白いところだ。この事実によって、1962年に再びヴェリコフスキーをめぐる論争が再燃することになったが、結局彼の主張は、正統科学に取り入られることがなくブームの終わりを迎えることとなった。

次は、後者の「大陸移動説」。これは、気象学者アルフレート・ウェゲナーが1915年に発表した『大陸と海洋の起源』が火付け役となる。アフリカと南アメリカの海岸線の類似性はかなり前から気づかれていたそうだが、ウェゲナーはその他にも、移動能力が低い生物の化石が大西洋をはさんで発見されることや、地層が酷似していること、また、もしも大陸が今の位置にずっとあったのだとすると、氷河の痕跡からある時期南半球全体が氷河に覆われていたことになってしまうが、北半球にはそういう証拠がないなど、多くの証拠を提出したのである。

当時、半信半疑の地質学者たちの間で盛んに議論されたのだが、一番の問題になったのは、大陸移動のメカニズムだった。ウェゲナー自身は、地球の自転で説明できるとしていたが、1924年のハロルド・ジェフリーズの計算では、自転やその他の既知の力では大陸の移動は説明できない、とされた。この計算が大きな根拠となって、ウェゲナーの説はいったん否定される憂き目をみたのである。流れが変わったのは1960年代に、海洋底の研究が進み、海嶺、海溝、断層などの構造が発見され、大陸と海洋の性質の違いが明らかになったことによってだそうだ。そして、大陸と海洋をワンセットの固いプレートと見なすプレートテクニクス説が成立し、大陸移動の動力の問題は解決して、賛否が逆転することとなったそうである。

この二つの事例を前にして、ぼくらは何を受け取るべきなのだろうか。ここで念のためいっておきたいのは、この二つの仮説を、今のぼくらの科学知識から判断してはいけない、ということである。そうではなく、自分の知識をこれらの仮説がなされた時代のものに限定して、自分をその歴史上の点に立たせて、自分ならどう考えただろう、そういう想像力を働かせることなのだ。

この事例たちからまず読み取りたいのは、「科学で何かを証明する」ということはいったいどういうことなのか、という点だろう。ぼくらは、何かを「科学」と信じているのだけれど、それにどのくらいの「真」があるのか、それはとても難しい問題だ。実際、現在では一方は正しく他方は誤りだと考えられているこの二つの事例についても、当時の科学者たちは、熱狂したり、バッシングしたりと右往左往している。これは科学者が信用ならない、ということではなく、地球規模の変動についての言説の検証がいかに科学的に難しい問題か、ということだと受け取るべきだろう。

もう一つ注目すべきことは、ある仮説が「何かを説明できる」からといって、それだけでその仮説が正しいわけでもないし、逆に、「ある何かを説明できない」からといって、その仮説が即時に誤りであるというわけでもない、いう点だ。ヴェリコフスキーの仮説は、いくつかの地球の伝承や惑星の事実を説明できたけれど、結局はナンセンスであることが後にわかった。また、ウェゲナーの仮説は、当時の知識では裏付けることができなかったけれど、それは単に人類の地球環境についての知識が貧弱だったにすぎなかった。地球についての知識が増えれば、正当性も復活したわけだ。

さて、この史実を冷静に胸において、現在ぼくらが直面している地球温暖化という問題、それが「科学で検証されつつある」という事実、そのことをよく考え直すことも必要だろう。少なくとも、「熱狂」できるほどの根拠があるといえるのかどうか。ぼくらは、歴史上のある一時点に立っているだけだ、ということを常に胸に刻まなければならない。

ぼくらが経験しているこの海洋や大陸や気象に関する仮説は、最終的に、ヴェリコフスキー・タイプのものだろうか、それともウェゲナー・タイプのものなのだろうか。もちろんそれは、今は結論の出ないことだし、いつか将来において決着のつくことだろう。でも大事なのは、この仮説について、「今は結論のでないことだし、いつか将来において決着のつくことだろう」という自覚の上で、ぼくらは何かの意思決定をする、そういうことなのだ。それがどんな意思決定であるにせよ、それは「熱狂」ではなく「熟慮」を持ってなされるべきだし、それでこそ責任がとれるというものだ。

そういうことを考える上で、科学についての歴史と哲学は、とても大事だと思う。歴史は、自然科学的な結論を与えてはくれないけれど、(だって時代も環境も状況も異なるから)、でも自然科学には逆立ちしたって語れない何かを教えてくれるはずだから。

* * * * *
[*1] 伊勢田哲治『疑似科学と科学の哲学』名古屋大学出版会2003
[*2] 伊勢田哲治『哲学思考トレーニング』ちくま新書2005
[*3] 経済学において歴史を検討することの重要性とその方法論を、WIRED VISIONの執筆者・飯田泰之が説いたのが、氏の最新の著作『歴史が教えるマネーの理論』ダイヤモンド社である。この本も、われわれが直面する現在進行形の経済問題に対して、歴史事例をどう活かせばいいかを知る上で、とても参考になる本だと思う。

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プロフィール

1958年生まれ。帝京大学経済学部経営学科准教授。数学エッセイスト。著書に『サイバー経済学』『確率的発想法』『文系のための数学教室』『エコロジストのための経済学』などがある。

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