Dave Eyvazzadeh


Photo: Porsche.com

上の写真は、ガソリンと電気を動力源とする世界初のハイブリッド車で、1898年に作られた。タイプミスではない。1898年型『Lohner-Porsche Mixte-Hybrid』は、4つの電気駆動式ハブで推進するハイブリッド車で、2トン近い鉛蓄電池を搭載し、最高速度は時速約60キロに達した。

自動車業界ではこれまで、革新的なアイディアがいろいろ実現されてきた。大衆が準備できていないときに、クールすぎる自動車技術が生まれることがあるのだ。それらについて紹介しよう。

1898年のハイブリッド

『Lohner-Porsche Mixte-Hybrid』の開発者はフェルディナント・ポルシェ。当時18歳で、最初の就職先であるオーストリアの車体製造会社Jacob Lohner(ヤーコプ・ローナー)社で働いていた。ポルシェは1906年まで、同社で働いていた。

『Lohner-Porsche Mixte-Hybrid』は、ポルシェがJacob Lohner社に在職していた8年間に300台販売された。ポルシェは1906年、オーストリアのAustro-Daimler(アウストロ・ダイムラー)社に、設計主任として採用された。

[フェルディナント・ポルシェは1875年オーストリア生まれ、1951年没。ダイムラー社の「メルセデス」の古典的高性能車群、史上最も成功した大衆車と言われるフォルクスワーゲン・タイプ1(ビートル)など、1900年代から1930年代にかけて自動車史に残る傑作車を多数生み出した設計者として知られる。18歳だったとき、電気自動車を手がけ始めていたウィーンの元・馬車メーカーのJacob Lohner社に引き抜かれ、車輪のハブにモーターを搭載した電気自動車を考案。この発想は、現代の電気自動車や一部のハイブリッドカーに用いられるインホイールモーターの先駆とされる。

世界最初の電気自動車は、最初のガソリンエンジン車が作られた1891年より前の1886年に誕生。1900年ころには、電気自動車が蒸気自動車と競う形で普及し、1899年にはガソリン車よりも早く初めて時速100キロを突破するなど有望視されていた(日本語版記事)。米国の発明王トーマス・エジソンは電気自動車の改良と普及に努めていたが、広大な国土を持つアメリカでは航続距離の短さがネックとなり、やがてエジソンの元で内燃機関を研究していたヘンリー・フォードによる『T型フォード』(1908年発売)の成功により、自動車市場は完全に内燃機関自動車に支配されるようになった]

悲惨な運命を辿ったGMの電気自動車


Image: General Motors

カリフォルニア州大気資源局(CARB)は1990年代後半、排出量を厳しく規制して、大気の質を改善しようとしていたが、米General Motors(GM)社などの自動車メーカーは当初、CARBの規制に抵抗し、電気自動車の市場は存在しないと主張していた。

GM社は結局、1996年に電気自動車『GM・EV1』を生産し、[カリフォルニア州とアリゾナ州のみで]一般消費者向けに[650台を]リースした。

第1世代のEV1は鉛蓄電池を使用し、航続距離は70〜100マイル(約113〜161キロメートル)。[しかし1999年には、充電電線から出火する恐れがあるとして、GM社は自主的に電線を交換する事を決断して、リースから戻した]。1999年代からリースされた第2世代のモデルは、ニッケル水素電池を使用し、航続距離は80〜140マイル(約129〜225キロメートル)まで伸びた。

しかし同社は、EV1を生産しても採算が取れないとして、2003年後半に計画を中止し、リースに出していたEV1を回収して、2台を除いて全車を破砕した(製造されたのは全部で1117台)。

[GM・EV1は、GM社が量産した最初の、なおかつ同社の歴史において2009年現在唯一の電気自動車。EV1の生産にかかる費用は1台あたり少なくとも500万ドルかかると試算されたほか、GM社の内部研究の結果、電気自動車は寒冷地では1充電あたりの走行距離が50%下がる事が判明した。また規制法の方も徐々に骨抜きにされ、わざわざ高コストの電気自動車を開発・販売するメリットは徐々に薄れていった。

映画『Who Killed the Electric Car?』(邦題『誰が電気自動車を殺したか?』)では、EV1を進歩的な傑作としてとらえ、EV1計画をキャンセルしたGM社を強く批判している]

[(2)では、初代インサイト、マツダの『コスモ』、悲劇の車『タッカー』などを紹介]

(2)へ続く

WIRED NEWS 原文(English)

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